なぜなぜ坊や

小さい頃の大人達からのあだ名は『なぜなぜ坊や』でした。


自分が感じた疑問をひたすら納得のいくまで大人たちに聞いて困らせていたようで、そこから『なぜなぜ坊や』と呼ばれていたみたいです。


真っ白な状態で生まれて、沢山のことに疑問をもっていた子供時代。 にも関わらず、いろいろな経験をして成長していく過程の中で、いつの間にか物事を『当然』として見るようになってしまい、 『なぜ??』と純粋に思う気持ちが薄れていたように思います。 だけどここ最近、あらゆる『当然』の出来事に対して、また『なぜ??』の気持ちが生まれるようになりました。


きっかけは、たぶん、父の死を経験したことだと思っています。 当たり前のように今日まで生きている自分、そして父も勿論その一部だと思っていたのに… 突然亡き人になってしまった父の存在があまりにも身近だったので、 そもそも僕達はなぜ生きるのか? そんな疑問がふと浮かび上がってきて、また昔のようにあらゆることに疑問を感じるようになりました。 なぜ生きるのか? なぜ働くのか? なぜサッカーをするのか? なぜ幸せになりたいのか? … なぜなぜ坊やだった僕が大人になり、改めて『なぜ??に』向き合ってみると、 そこには、『なぜ??』という疑問を紐解いた先にある、これまで積み重ねてきた自分なりの価値観や、他でもない自分の核というものがありました。


もちろん『なぜ??』についての答えは十人十色ですが、そこに出た答えこそが、まさに自分自身なのです。 そんな色々な疑問を本にされたのが、『疑問論』


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 無意識的に過ぎて行く毎日の中で『なぜ??』と日常に疑問をもつことが、自分自身を意識的に確認できる作業になるのかなと思います。 答えは今すぐ出なくてもいいし、変わっていくものでもあると思います。 ただ、今この瞬間にも多くの疑問が僕達の周りには溢れています!! それから目を伏せたり面倒臭がるのではなく、しっかりと向き合って考えてみること、 きっとそこにはわかったつもりで見れていなかった、自分自身というものがあるのかもしれません。 今日もひたすら続く、なぜなぜ〜


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