手紙屋


雨が夜更け過ぎに雪へと変わるとの予報が外れ、ただただ雨が降って寒い師走… 街ではみんながなにかに急いでいるせいか、交通事故があとをたたず… 街のいたるところでは忘年会が繰り広げられ… とにかくせわしないそんな印象を与えるそんな時期になってまいりましたね。


実家に帰ってきたのでどこへ行くのも電車やバスと言った公共手段を利用していますが、満員電車には毎回驚かされております。 みんなのフィジカルの強さにも驚きなのですが、率直な疑問で なんで通勤ラッシュの時間をずらさないのかな…?? 少し早めに駅へ行って各駅停車に乗ればゆったり行けるのにな?? などと考えていますが、結局のところ僕も満員電車に乗っているわけだから何も解決出来ていないのが現状…笑 そうやって、シーズン中より社会に触れる時間が長くなるといつもと見えてくるものが違い、新鮮な気持ちでいます。


そしてそんな社会を客観的に見ていくと凄くシンプルに自分のサッカーをやっていることと結びつけることが出来ました。 社会に出た瞬間から僕達は誰かから価値を感じてもらってその対価としてお金をもらっています。 つまり僕達は社会の誰かから自分という価値を認められなければ生きていけません。 始めた動機はどうであれ『認められる』がなければ、たとえいくらピカソくらい絵が上手く素晴らしい絵を描き続けても、それが山奥で誰にも作品を見られずにいたら価値が生まれないのです。


「認められるためにする」のか「認めさせるためにする」のかと言ったアプローチの仕方は人それぞれだと思いますが、僕は後者の方を常に選択していますし、サッカー選手もある種のアーティストだと思っているので、自分達の思いや、普段の積み重ねをプレーで創造すると思っているからです。


そんな考えを喜多川泰さんの手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~ が『必要』という表現で説明されています。(※以下抜粋) 『多くの人から長期間にわたって必要とされ続けること』 つまり働くことはその手段の一つに過ぎず、社会に出ていくためには『多くの人から必要とされること』だと。 それは、どんな形でもかわまない。僕はサッカー選手という職業で必要とされ、結果的に収入をもらっているに過ぎない。 もちろん『必要』とされる要素の中で労働力は入ってくるけど、それ以外にもキャラクター、個性、成長、仲間、勇気、感動などこちらが与えることのできる事は多く、相手が『必要』と思う要素は様々あるので労働と引き換えに収入を得ようとすると、凄く味気ないし人としての成長がなくなってしまうと思う。

20131219-105726.jpg そして、僕はそれらを与えることで収入以外にも沢山の得られていることがある。経験や仲間、サポーター、ファン、共感や感動、サッカーを出来る環境、成長などなど この本は社会にこれから出る就活生や学生にはもちろん、社会に出て会社で自分が何を生産出来ているのか分からない人などに多くのヒント与えてくれるとおもうのでぜひ今年中に読んで新たな年を迎えてもらいたい!!!